ちょっとゆるめに生きてみます
2023.07.07
日々のこと/志波大輔
僕の座右の銘は「一笑懸命」です。 ここに至る背景を今日はお話したいと思いますので、よかったらお付き合いください。
僕は昔から妥協することができなくて、何事も自分の限界まで挑戦してしまうタイプの人間です。 友達のお母さんたちからも「志波くんはしっかりしている」という太鼓判をもらうような幼少期でした。 宿題や提出物は基本的に欠かさず提出するし、自分で言うのもアレなんですが、成績も良い、真面目、優等生という言葉がぴったりだったと思います。 今思うと叱られない、怒られないためにまじめキャラを演じてたように思います。 自分の信念をはっきりと意識したのは高校生、部活で使うベルトの裏に「一生懸命」と書いた時でした。 とにかく与えられたことは完璧にこなしたし、テスト勉強などにも抜かりがありませんでした。 野球でも小学生の頃は三振王と呼ばれた少年が、高校でキャプテンを任されるくらいに成長できたので、文字通り一生懸命生きてきたと思います。 その後大学へ進み、専門学校へ進み、デザイナーとして働き、独立起業し、30年余りの「一生懸命」ライフを過ごしてきました。 良い学校へ進学し、大企業と呼ばれるような会社に入社することが最善であり正しいことだと教えられ、それが正しいものだと生きていました。 なので枠にはまった”こうあるべき”という思考が自分の根底にこびりついているように感じます。 そんな僕の背中を押していた呪縛の言葉が「一生懸命」でした。 一生懸命やれば成功するにちがいない、報われるにちがいないという根拠のないものを信じていたんだと思います。 事実、それで今まで自分が成し遂げたいことはほぼすべて達成してきたので尚更です。 そんなこんなで、とにかくがむしゃらに日々歩んできましたが、1年程前、この生き方が僕の心をすり減らしていることにふと気がつきました。 それはある人との会話の中で、こんな質問をされた時です。 「昨日楽しかったこと、嬉しかったことはなんですか?」 この質問に僕の思考は停止しました。 驚くくらい何一つ楽しかったことが記憶から出てこない、思い出せなかったんです。 かわりに出てくるのは悪かったできごと、出来なかったこと、不満なこと、そんなネガティブな記憶ばかりでした。 僕は一生懸命すぎるあまり、日々を楽しんだり嬉しく思う気持ちを必要以上に押し殺してきたんだと気づきました。余裕や遊びがなくなってたんです。 まさに呪縛。 これは良くない!! このままじゃ自分がかわいそうだし、周りもハッピーじゃない。 ということで、一生懸命の「生」を「笑」に変えて、懸命な中にもひと笑いあるくらいのバランス感で生きていこうと「一笑懸命」に座右の銘を変えました。 そして毎日身に起こる小さな嬉しいことを喜ぶ癖をつけるようにしました。 本当に小さなことでよくて、例えば自分で作ったカレーがすごく美味しかったとか、駅までの信号が連続で青だったとか、夕焼けが綺麗だったとか、、、 そうすると不思議と嬉しいことが連続してくるんですよね。気持ちもかなり穏やかになったような気がしています。 足りないこと、できてないこと、悲しいことにフォーカスする人生よりも、満たされていること、できていること、嬉しいことにフォーカスできる人生の方がよっぽと幸せですよね。 30年近い思考の癖を変えるには時間がかかるでしょうが、しばらくちょっとゆるめに生きてみます。 (このウェブサイトも近いうちにゆるさを醸し出すと思います笑)