堺を知る
2026.05.15
日々のこと/志波大輔
こんにちは、志波です。
デザインでも飲食でも、地域と関わる以上、その街の空気感や文化、人の価値観みたいなものは、長い歴史の積み重ねの上にできている。
だからこそ、まずは自分自身が堺という街をもっと知りたいと思い、最近少しずつTOGUの仲間と歴史を勉強し始めました。
まずは戦国時代の著名人「千利休」から。
茶道を極めた人物として、“京都の人”というイメージを持っていましたが、実際には堺の商人文化の中で育った人物だったそうです。
まだ入り口しか勉強できていないのですが、現時点でも非常に面白いなと感じていることがあります。
ひとつは、千利休という人物が、かなり型破りでアバンギャルドだったということ。
今でこそ「わび・さび」や茶道というと、静かで厳かなイメージがありますが、当時の価値観からすると、利休の感覚はかなり革新的だったようです。
例えば、それまで価値があるとされていた中国由来の豪華な茶器ではなく、あえて素朴で不完全なものに美を見出したり、狭い茶室で身分を超えて人と人が向き合う空間をつくったり。
それは単なる“お茶”ではなく、価値観そのものを編集し直す行為だったんじゃないかと思います。
そしてもうひとつ印象的なのが、織田信長とともに「茶器の価値」を高めていたことです。
当時、名物茶器は城一つと同じくらいの価値を持っていたとも言われています。
もちろん物自体の希少性もあると思いますが、それ以上に、「誰が持っているか」「どんな文脈で扱われているか」によって価値が形成されていた。
これって、今でいうブランディングそのものだなと感じました。
ただ良いモノをつくるだけではなく、その背景や思想、ストーリー、人との関係性によって価値を高めていく。豊臣秀吉の時代には茶器のモノとしての価値から、茶室としての空間やそこで行われるコトに価値を見出していたこと。まさにここ数十年の流れと同じようなことが、すでに戦国時代に行われていたことに驚きです。
僕たちは今、デザイン経営とかブランディングとか言っていますが、その原型みたいなものが、堺という街から生まれていたのかもしれないと思うと、なんだか不思議な気持ちになります。
当時の堺は海外との貿易によって栄えた自由都市であり、商人たちが自治を行う、かなり先進的な街だったそうです。そういう土壌の中で千利休のような人物が育ったというのも、すごく納得感があります。
ちなみに僕を堺に引っ張り混んでくれたのはTOGUメンバーであるTHREE ORKの依田さん。
彼こそ令和の利休じゃないかと勝手に思っています笑
そんな彼のオフィスにお邪魔すると、お茶をたててくださいました。
日本文化というのは非常に敷居が高いように思っていましたが、実はとても日常なものなのかもしれないと感じている今日この頃です!
