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「カルチャー」を経営のど真ん中に据える

こんにちは、志波です。

今日は最近読んだ面白い書籍をご紹介します。

以前近畿経済産業局主催のデザ経2023でご一緒させてもらったSASIさん主催の読書会に参加させてもらった際、テーマとなった1冊です。

ブランディングの要となる、現場における意識改革と現場力UPのヒントもたくさんありましたので、企業規模感関係なく学びが多いように感じます。

「カルチャー」を経営のど真ん中に据える

著者:遠藤 功

冒頭、日本企業に不祥事や不正が続いていると始まり、その原因が劣化した「カルチャー」にあるといいます。

「カルチャー=組織風土+組織文化」と表現され、一見混同しがちな風土と文化を明確に定義してくれて、とてもわかりやすい。

風土とは、土地の気候・地形などの自然環境であり、環境こそがその上に生きる人の有り様を規定します。

組織においてはリーダーシップ・社内規定・コミュニケーション方法等により作られていき、「良い」「悪い」と評価されます。

例えば良い風土とは、風通しが良い・前向き・主体性・挑戦的・楽観的・協力的・開放的というように表されるのに対し、悪い風土は風通しが悪い・後向き・受動的・消極的・悲観的・非協力的・閉鎖的となります。

そしてこれらの組織風土を作るベースは経営者やリーダー層にあり、心理的基盤となります。

対して文化とは、特定の集団の中で共有されている信条、価値観、行動であり、それらは往々にして環境の影響を大きく受けます。例えば日本の文化は島国、四季があるという環境の影響を受けて醸成されてきたように。

なお、組織文化は「強い」「弱い」と評価され、強い文化を作るためには以下3つのポイントがあるようです。

①深さ(=他社が追いつけない、圧倒的なレベルの「深さ」を追求すること)

②成功体験(=社員にとって「信じる理由」となり、自らの実行、実践に結びつくよう成功体験を積み重ねること)

③アイデンティティ(=帰属意識や仲間意識を育み、社員たちの潜在能力を引き出すこと)

僕なりに整理をするならば、

組織風土とは経営者やリーダー層の在り方・立ち居振る舞い

組織文化とはアイデンティティに基づいた成功体験の積み重ね

といった感じでしょうか。

つまりカルチャーが劣化しているのであれば、経営者があり方を正し、新たな成功体験を積み上げていく必要があるということになります。

ちなみに組織風土が劣化している組織の特徴は以下の通りで、結果、ファイティングポーズをとらない(とれない)弱い組織になってしまいます。

①上からの一方的な指示や通達ばかり

②下から上にものが言えない、言わない

③横の連携が悪く、無関心、あきらめ感が蔓延

④ミドルが疲弊しチャレンジしない、できない

⑤自責ではなく他責にする傾向が強い

⑥組織全体にやる気が感じられず、活力に乏しい

さて、皆さんの組織はどうでしょうか?

ここから本書では具体的な企業事例を挙げながら、弱くなった組織をどう立て直していくかのヒントが沢山書かれていますので、続きは是非ご自身でご覧になってください。

ここからは僕の感想です。

書籍の中には、正直これって当たり前のことだなぁと思う点も多々ありました。

ですが全部実行できているかというと、、、

知っていると実行しているの間にはすごい壁がありますね。

そしてもうひとつ。

誰が実行するのか?

会社を変える良いヒントを得ても、それを経営者自らが行わず、従業員だけに行動を促している様子をよく見かけますが、それでは何も変わりません。

組織風土となる経営者自らが変わらないと、どんな良い文化だってすぐ枯れてしまいます。「社長は口ばっかり」とつぶやかれているような組織がどうやって成長できるんでしょうか?

仲間を奮い立たせるにはまずトップから!

自分にも強く言い聞かせた一冊でした。

ちょっとゆるめに生きてみます

僕の座右の銘は「一笑懸命」です。
ここに至る背景を今日はお話したいと思いますので、よかったらお付き合いください。

僕は昔から妥協することができなくて、何事も自分の限界まで挑戦してしまうタイプの人間です。
友達のお母さんたちからも「志波くんはしっかりしている」という太鼓判をもらうような幼少期でした。
宿題や提出物は基本的に欠かさず提出するし、自分で言うのもアレなんですが、成績も良い、真面目、優等生という言葉がぴったりだったと思います。
今思うと叱られない、怒られないためにまじめキャラを演じてたように思います。

自分の信念をはっきりと意識したのは高校生、部活で使うベルトの裏に「一生懸命」と書いた時でした。
とにかく与えられたことは完璧にこなしたし、テスト勉強などにも抜かりがありませんでした。
野球でも小学生の頃は三振王と呼ばれた少年が、高校でキャプテンを任されるくらいに成長できたので、文字通り一生懸命生きてきたと思います。
その後大学へ進み、専門学校へ進み、デザイナーとして働き、独立起業し、30年余りの「一生懸命」ライフを過ごしてきました。

良い学校へ進学し、大企業と呼ばれるような会社に入社することが最善であり正しいことだと教えられ、それが正しいものだと生きていました。
なので枠にはまった”こうあるべき”という思考が自分の根底にこびりついているように感じます。
そんな僕の背中を押していた呪縛の言葉が「一生懸命」でした。
一生懸命やれば成功するにちがいない、報われるにちがいないという根拠のないものを信じていたんだと思います。
事実、それで今まで自分が成し遂げたいことはほぼすべて達成してきたので尚更です。

そんなこんなで、とにかくがむしゃらに日々歩んできましたが、1年程前、この生き方が僕の心をすり減らしていることにふと気がつきました。
それはある人との会話の中で、こんな質問をされた時です。

「昨日楽しかったこと、嬉しかったことはなんですか?」

この質問に僕の思考は停止しました。
驚くくらい何一つ楽しかったことが記憶から出てこない、思い出せなかったんです。
かわりに出てくるのは悪かったできごと、出来なかったこと、不満なこと、そんなネガティブな記憶ばかりでした。
僕は一生懸命すぎるあまり、日々を楽しんだり嬉しく思う気持ちを必要以上に押し殺してきたんだと気づきました。余裕や遊びがなくなってたんです。
まさに呪縛。

これは良くない!!
このままじゃ自分がかわいそうだし、周りもハッピーじゃない。

ということで、一生懸命の「生」を「笑」に変えて、懸命な中にもひと笑いあるくらいのバランス感で生きていこうと「一笑懸命」に座右の銘を変えました。
そして毎日身に起こる小さな嬉しいことを喜ぶ癖をつけるようにしました。
本当に小さなことでよくて、例えば自分で作ったカレーがすごく美味しかったとか、駅までの信号が連続で青だったとか、夕焼けが綺麗だったとか、、、
そうすると不思議と嬉しいことが連続してくるんですよね。気持ちもかなり穏やかになったような気がしています。

足りないこと、できてないこと、悲しいことにフォーカスする人生よりも、満たされていること、できていること、嬉しいことにフォーカスできる人生の方がよっぽと幸せですよね。
30年近い思考の癖を変えるには時間がかかるでしょうが、しばらくちょっとゆるめに生きてみます。

(このウェブサイトも近いうちにゆるさを醸し出すと思います笑)

大きな努力で小さな成果を

先輩から素敵な本を贈っていただきました!
イエローハット創業者 鍵山秀三郎さんの書籍「大きな努力で小さな成果を」です。

手に取った瞬間、タイトルからいきなり「!?」でした。
普通だったら「小さな努力で大きな成果を」出したい!と思うのに、そこには真逆なことが書いてあるんです。しかし読み進めていくと、日々の小さなこと、例えば身の回りの整理整頓など、には目もくれず、何か大きなチャンスがありそうに見える虚像ばかりを追いかけていないだろうか?そんな自問自答を繰り返す内容でした。

できそうにない大きなことばかりを追いかけるよりも、
目の前の小さなことを少しずつでも積み重ねていけば、
とてつもなく大きな力になります。

表紙の見返しにこう書かれてあります。
まさにその通りだと思います。ですがその積み重ね、日々地道に継続していくことがどれほど難しいかを私たちは知っています。だから少しでも小さな力で大きな成功を収めたい、そう思ってしまうし、甘い誘いにも簡単に乗っかってしまいます。そして大損したりするんです、、、

少し学生時代の頃を思い出してみてください。
テスト前だけに覚えた付け焼き刃の知識は、肝心の受験の際には残っておらず、必死に勉強し直したけれども時間が足らず志望校へ届かなかった、という苦いご経験をお持ちの方も少なくないのではないでしょうか。
まさにこれと同じことを、大人になった今でも続けている人が多いんだと思います。

僕自身の学生時代はどうだったかなぁと振り返ると、中学時代に大きな努力をしたことを思い出しました。
それは勉強に対しての取り組みです。
好きだった女の子を振り向かせたいがために勉強を頑張るようになり、少しずつ成果が出始めると楽しくなり、テストでもっと良い点を取りたいと思うようになりました。そのためにはどうしたらいいのか?子供ながらに必死に考え辿り着いたのは下記の5点です。

1.日々のノートを丁寧に書くこと
2.家に帰ったら学校のノートをさらに自分なりにまとめ直すこと
3.テスト勉強はテスト範囲が発表されるさらに1週間前から始めること
4.勉強する科目を1日2科目にしぼりスケジュールを立てること
5.ワークの反復学習を行うこと

毎日クラブ活動もしながら、これだけのことをやっていたなんて、今思うとえげつないですが、成績はメキメキとあがり、志望校へ合格できました。おそらく僕にとっての最初の成功体験だと思います。
さすがに一科目ごとの細かい内容まではもう記憶に残っていませんが、努力する力、継続する力は間違いなく今仕事をする上で大きく大きく役立っています。問題の好きだった女の子に振り向いてもらえたかと言うと、、、惨敗でした。大きな努力で成果無しです(笑)

少し話がそれましたが、今の自分は100点目指して、日々涙ぐましい努力を積み上げているのか?ということです。便利な世の中になることは大いに結構ですが、その分努力することが減っているように感じます。
そこに甘んじるのではなく、今の時代に即した努力の仕方が必要ですね。

さて、本題に戻り書籍の中で心に響いた、鍵山さんの大きな努力を3つご紹介させてください。

(1)これでもか、これでもかと手をかける
鍵山さんが経営者として重視してきたことは、とにかく手抜きをしないことだそうです。例えば展示している商品も順番におろしてホコリを払い、また元に戻すような徹底ぶりで、人の手を加えると輝いて見えるといいます。人の手はそういう不思議な力を持っているとおっしゃっています。
僕の自慢ですが、うちのスタッフはいつもこれでもかと丁寧な仕事をしてくれています。
納得いくデザインができるまで徹底的に手を動かしてくれたり、1mm刻みでレイアウトを調整してくれたり、サンプルを丁寧につくってくれたり、誤字脱字をしっかりチェックしてくれたりします。そういう仕事をしてくれるのは本当にありがたいです。
きっとそんな彼らのおかげで、デザインが輝いて見えてくるんだと思います。

(2)掃除で心を磨く
鍵山さんといえば、やはりトイレ掃除。
その活動から「日本を美しくする会」が発足し、鍵山さんの在り方に賛同する方々が、全国の学校トイレなどその地域の清掃活動に従事し、文字通り美しい国づくりの実現に向けて活動をされています。
僕も母校の中学や、神社などの清掃に何度か参加させていただきましたが、道具の使い方から後片付けまで、終始学びっぱなしでした。
創業当時の荒くれた従業員を穏やかにするには、はたらく環境を良くするしかないと、社長自らがトイレをはじめとした職場環境の整備に取り組まれたのがきっかけだそうです。「いつも見ているものに心が似ていく」という言葉は僕の胸に大きく刺さりました。僕たちも「うつくしいものをつくる」ことを理念に活動していますので、皆さんの心をうつくしくする一助になればと思います。
社員が、学生がどんどん変化していったというお話しに、掃除の大切さを改めて強く感じました。
弊社でも微力ながら、日々事務所周辺の清掃もさせていただいてます。

(3)得にならないことをいかにやるか
困難を乗り越えていくには人間力を高めることが大切であり、そのためには「自分にとって得にならないこと」をいかにやるか。自分にとって都合がいいこと、楽なこと、益のあることだけをやっていては、器の小さな人間になる、と書かれてあります。
これも僕の胸にグサグサと刺さりました。
振り返ると、この人といれば得か損か、そんな側面から判断してしまっていた自分が恥ずかしいです。
現代の日本人には善悪が置き去りで、判断基準が損か得か、好きか嫌いかになっていることへ警鐘を鳴らす箇所がありましたが、自身を顧みて深く反省しました。

他にも勉強になるお話が多くご紹介しきれませんが、とにかく最初から最後まで、学びの多い一冊でした。
是非ともご一読ください。

関西デザイン経営推進事業 成果発表

2023年が始まって2ヶ月が過ぎて3月になりました。
日に日に暖かくなり、気持ちも高揚してきますね。

先日、近畿経済産業局が主催する「関西デザイン経営推進事業(以下本事業)成果発表」にて登壇させていただきました。
本事業は、デザイン経営を導入する企業を関西で増やして行こうというもので、本年度で2回目の開催だそうです。株式会社SASIの近藤清人代表が総合プロデューサー兼、クリエイティブディレクターとして運営され、弊社はアートディレクションとデザインの部分で携わらせていただいています。
近藤代表とは大阪デザインセンターさんのセミナーでご縁をいただき、今回の参画に至りました。

このデザイン経営とは2018年に経済産業省・特許庁が「デザイン経営宣言」を公表し、日本の経営スタイルの変革を狙ったものです。

以下その宣言文から概略を引用します。

ーーーーーーーーーーーーーー
日本は人口・労働力の減少局面を迎え、世界のメイン市場としての地位を失った。
さらに、第四次産業革命により、あらゆる産業が新技術の荒波を受け、従来の常識や経験が通用しない大変革を迎えようとしている。
そこで生き残るためには、顧客に真に必要とされる存在に生まれ変わらなければならない。
-中略-
デザインは、企業が大切にしている価値、それを実現しようとする意志を表現する営みである。
それは、個々の製品の外見を好感度の高いものにするだけではない。
顧客が企業と接点を持つあらゆる体験に、その価値や意志を 徹底させ、それが一貫したメッセージとして伝わることで、他の企業では代 替できないと顧客が思うブランド価値が生まれる。
さらに、デザインは、イノベーションを実現する力になる。なぜか。
デザインは、人々が気づかないニーズを掘り起こし、事業にしていく営みでもあるからだ。
供給側の思い込 みを排除し、対象に影響を与えないように観察する。
そうして気づいた潜在的なニーズを、企業の価値と意志に照らし合わせる。誰のために何をしたいのかという原点に立ち返ることで、既存の事業に縛られずに、事業化を構想 できる。
このようなデザインを活用した経営手法を「デザイン経営 」と呼び、それを推進することが研究会からの提言である。

ーーーーーーーーーーーーーー 

デザインと聞くと、おそらく多くの方は、ロゴやウェブサイトを作ったりする狭義の意味で捉えられるかと思いますが、ここでは事業や企業自体をデザインしていく広義の意味で用いられています。
そして、この宣言文ではデザイン経営への入り口には9つあると述べられています。


SASIさんはこの中で「アイデンディティ」を入り口とし独自の「アイデンディティ型デザイン経営」という手法で事業を推進されています。
文字通り、事業の代表者のアイデンディティを紐解き、なぜ事業を行っているのか?(why)、そこからどのような未来を描き(what)、どのように実現するのか(how)を言語化、視覚化、具体化をしていきます。
僕もこれには同感で、他の8個から入るのは非常にハードルが高い(というか答えを導き出しにくい)ように感じます。
また、提言文の最後に「誰のために何をしたいのかという原点に立ち返ることで」とありますが、この原点こそアイデンディティそのものです。

本事業においては、数回に渡るセッションで代表者のアイデンディティを抽出していきました。
一見事業と関係ないのでは?というような幼少期の話などに会話がジャンプしたり、とにかく多角的なアプローチでその「人」を浮き彫りにしていくイメージです。
当然ながらヒアリングする側に非常に高度なテクニックが求められ、常に頭の中で立体的パズルを解いてるような感覚になりました。
我々が取り組んでいるブランディングとの大きな違いは、ここから具体的な商品やサービスの開発(=デザイン経営宣言で言うところのイノベーション)まで行うところです。


上図にあるように、僕はアイデンディティの大きな役割は、未来のありたい姿(=ビジョン)を描くことだと思っています。
この未来と現在とのギャップが「問題」として顕在化し、それを解決するための施策(=コンセプト)、すなわち商品やサービスがビジネスを加速させていく武器となるわけです。
昨今はこの「問題」が枯渇しているので、どの会社もこぞってビジョンやパーパスを策定しているのも合点がいきます。
ですがいきなり、”さぁ、あなたの会社はどんなビジョンを描きますか!?”と言われてもピンとこないと思いますし、仮にビジョンを描いても、それが根っこの部分(=アイデンディティ)とかけ離れていては到底なし得ない、絵に描いた餅になっておしまいです。
だからこそ、このアイデンディティを入り口とした手法に価値があるのではないでしょうか。

今回弊社が伴走させてもらったのは、同じ堺市にある進和建設工業株式会社様でした。
ここでは詳しいことはお話を出せませんが、アイデンディティに則した素晴らしいビジョンと施策の種ができたと思います。

日々の業務に追われる中、「なぜ自分が事業をしているのか?」「どんな未来に向かって走っているのか」などを考える機会は多くないかもしれません。
もうすぐ訪れる春空の下、自身を振り返る機会をつくってみてはいかがでしょうか。

朝起きと直感力

世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?
でも少し触れた、朝起きと直感力についてお話したいと思います。

皆さんは朝起きるとき、自分の意思で「さぁ起きるぞ!」と目覚めますか?ちょっと変な感じに聞こえるかもしれませんが、これは大宇宙の意思(サムシンググレート)から、僕たちへ「起きろ!」という信号が送られて目が覚めているそうです。いわゆる「!」と何か気づいたりするのと原理は同じだと思っています。

ですがこの目覚めのサインに素直に従い、さっと起きている人はどれくらいいるでしょうか?まだ眠たいな〜と二度寝の誘惑に負けていませんか?

実はこれが自分の直感力の鈍化を招いているそうなんです。
(「そうなんです」という表現を使っているのは、僕自身朝起きがマスターできておらず、まだこれが事実であることを体感できていないからなので、ご了承ください(笑))

気付いたらすぐに行動することが成功の秘訣であると言いますが、毎日の目覚めという気付きをダラダラとスルーしているようでは成功から程遠くなってしまうことが安易に想像できると思います。

ちなみに、この朝起きというのは朝早く起きること(早起き)を意味しているわけではありません。中には夜通し仕事で、朝就寝という方もいらっしゃるでしょう。あくまで目覚めた時にサッと起きることを指しています。

僕は今、すこぶる腰の調子が悪く常にぎっくり腰直前の状態で、これも日々の生活の中で、不平不満や苛立つことが多い心の乱れが原因じゃないかと思っています。1年後には健康な身体を手に入れられるよう、この朝起き生活を見につけて朝から軽く運動を行い、心地よい一日のスタートを切るトレーニングしている最中です。

これを書いてて、なんでそんな朝起きしたいの?と疑問に思われそうですが、これは僕にも明確な理由がありません。ただ「探求」することが僕の根源的欲求の一つなんだと思います。
この壁超えたらどうなるんだろう?あの山の先には何があるんだろう?人として成長したらどうなんだろう?そんな興味本位に突き動かされている人間であると同時に、そういう生き方が自分にとって「うつくしい」と判断しているからだと、何となく感じています。
昨今は明確な理由や数値的根拠ばかりが重視されますが、僕はこの自分自身の「何となく」を大事にしようと意識しています。

継続は力なり!
今はうまくいかなくても、いつの日かうまくいくまで諦めないど根性で頑張ります。

世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?

あけましておめでとうございます。
2023年最初のブログは、書籍の紹介からはじめさせていただきます。

パブリックスピーカー・経営コンサルタントである山口周さんが2017年に書かれたもので遅ればせながらでしたが、間違いなく最近で一番良かった書籍です。これから求められるブランディングや経営者のあり方について、僕の中でモヤっとしていたことをはっきりと言語化してくださっています。
タイトルには「エリート」とありますが、経営者やブランドマネージメントに関わる方は是非ともご一読ください!書籍冒頭にも、ご丁寧に”忙しい読者のために”と簡潔に要約してくれているところも嬉しい限りです。

結論として、美意識を鍛えるその理由は、これまでのような理論、理屈にもとづいた経営では、VUCA(Volatility(変動性)・Uncertainty(不確実性)・Complexity(複雑性)・Ambiguity(曖昧性))の時代と呼ばれるように、複雑で不安定な世界においてビジネスの舵取りができないから、とあります。

皆さんもマーケティングに基づいた数字や、過去の実績をいくら並べても判断がつかない時ってありませんか?もしくは判断材料をもっと揃えてくれないと決めれない、なんて困らせる上司がいませんか?
さて、あなたは、もしくは上司は、もっと情報が多くあれば本当に結論を出せるのでしょうか、、、
おそらく答えはノーだと思います。

そこで、判断に困ったとき重要になってくるのは情報ではなく自身の「直感」や「感性」である、と。
すなわちそれが「美意識」というわけです。
ただし何でもかんでも直感任せというわけではなく、あくまで理論、理屈では判断できないときに重要になるのが直感ということなのでご注意を。

僕は独立してからの約7年、経営者の朝活に参加しています。ここでは朝目覚めるとサッと起きることを大切にしており、これが直観力を高めるんだそうです。週1回だけですが、朝4時頃に起きて活動していくことで自分の意識が変化していき、思考がどんどん現実化していくことを実感しています。これも直感力が少しずつ鍛えられてるんじゃないかと自分では思っています。そしてこの本を読んで、自分がやってきたこと、またこれからも大切にしていきたいことが時代の流れに即していると確信しました。(この朝活絡みのお話は次の機会に)

じゃあ何をしたら美意識が鍛えられるのかという疑問が浮かびますが、そのあたりは書籍の中にもヒントがありますのでご安心ください。ただし、筋肉と一緒で美意識も一朝一夕で鍛えることはできません。継続は力なりという言葉の通り、地道な努力を積み重ねるしかありません。ですが1でも歩みを進めれば、5年、10年経つに連れて、何もしなかった人との差は歴然となるでしょう。今の時代、誰もがインスタントなことばかりに目がいき、地道な継続ができる人はほんの一握りのように思います。

ちなみに僕は美意識トレーニングとして、今まで触れてこなかった詩や文学、哲学に触れるようにしています。ともに美意識を鍛えて、時代を乗り越えてまいりましょう!

それでは本年もよろしくお願いいたします。

1年を振り返って

2022年が過ぎ去ろうとしている今日、12月29日は仕事納めです。
節目は大切にしたいので、この1年を少し振り返ってみようと思います。

今年はヘリコプターでの撮影からスタートというとても印象的な仕事始めでした。ヘリに乗るのは初めてで、ジェットコースターに乗っているような浮遊感で楽しかったです。
ユニオンさんのカタログ用に、舞洲から大阪全体を撮影することが目的だったのですが、あいにくこの日は天気が優れず、高度や画角等を検証するに終わりました。おかげさまでカタログはとても素晴らしく仕上がりましたので、是非 こちらからご覧ください。

1月末には前職のnendoが京都で開催している展示会へ足を運びました。
京都の伝統工芸とコラボするという企画でしたが、どれもnendoらしさが滲み出ていて久しぶりに心躍る展示会でした。中でも印象的だったのは風神雷神画からインスパイアされた指物(外側に組み手を見せず、金釘(かなくぎ)も使わずに組み立てられた木工品)です。

まずは初見のインパクト。屏風のように組み立てられた格子の一部が、それぞれまるで空間が歪められたように曲がっています。一見歪んだ部分は3次元的に飛び出しているように見えたのですが、近づいてみるとそれは平面的に構成されており、制作にあたり途方もない苦労があったことが伺えました。
nendoの素晴らしいところは、この途方もない苦労を行い続けるところだと当時から感じていました。やっぱりその努力というか、想いは見た人に伝わるんだと思います。この精神を学ばせてもらったことは僕にとって大きな財産で、今仕事をする上でも大切にしています。そして退職した今でも大ファンです。

2月は僕の36歳の誕生日。
同じビルのメンバーの誕生日は、会社の枠を超えてみんなでお祝いしてくれる嬉しい文化があるんですが、もうひとつの文化が「ドッキリ」を仕掛けるというもの、、、
さすがにネタが尽きてくるので、数年前から僕へのドッキリはチャレンジ企画に変わりました。そんな今年のチャレンジは、「アルミパットに敷き詰められた小麦粉の中に一つだけ隠されたグミを手を使わず顔を突っ込んで30秒以内に探し当てる」というものでした(笑)
僕はそういうものに躊躇なく突っ込んでいくタイプなので、期待通り真っ白な顔面でグミをゲット。残念ながら2秒ほど間に合わず賞金ゲットとはなりませんでした。そしてそのグミが激辛というおまけ付き。
(お見苦しい写真で失礼します)

仕事はというと、2021年から2022年にかけて、精肉店(n°29)とヴィーガンカフェ(MERCY Vegan Factory)という対極なプロジェクトを進めていたのが印象的でした。
精肉店は西区新町というロケーションもあり、海外の精肉店のようなデザイン性の高いデザインに仕上げました。オーナーさんにも満足いただけて、これからの発展が楽しみです。
ヴィーガンは知識が全然ありませんでしたが、このように全く知見のないご相談をいただくことで毎度新しい情報をインプットできるというのも、この仕事の面白いところです。これを機に少し食事に対する意識が変わりました。余談ですが現在は1日ほぼ1食ですこぶる健康です。お花のような野菜のようなロゴマークが象徴的で、MERCY(=慈愛)の世界観がうまく表現できたように思います。こちらも大変喜んでいただけたました。

5月、待ちに待った映画の上映がありました。そうです「シン・ウルトラマン」!
会社のみんなと胸を躍らせながら観に行きましたが、正直ちょっと残念な印象でした。シン・ゴジラの精度が高すぎたのかもしれませんが、細切れの話を2時間ダラダラと見せられたような感じがあったのと、今の時代に合わせた表現がちょっとしんどかったのかな?
ですが原作でフジ隊員が巨大化するところ再現したり、癖の強いメフィラス星人は面白かったですね。
最近のウルトラマンシリーズのデザインはどれも過剰で、まるでロボットのような造形だったりするのが多い中、初期コンセプトを大切にされてカラータイマーすらも削ぎ落とす姿勢とデザインはとてもよかったです。
(なんだかんだ言いながらもアマゾンプライムで再度見ました)

その後も慌しくも充実した日々を過ごしておりましたが、ついに流行病にかかった8月。
7月末から声がガラガラになり、何か変だな〜と思っていた矢先、8/9に陽性となり見事にダウン。せっかくのお盆休みはすべて自宅待機となって残念だったのですが、スタッフもおそらく僕のコロナをもらって陽性となってしまったので、申し訳なさでダブルノックアウトでした。
10日の隔離期間を経て復帰したのですが、どうも調子が良くないんです。朝起きたら38度くらいの発熱がその後も1ヶ月ほど続き、夜は18時頃には活動限界を迎える始末。とにかくずっとダルいんです。これが後遺症ってやつか〜と何とか苦しみに耐えながら数ヶ月を過ごし、ようやく11月頃にほぼ通常通りの体調に戻れました。

ちなみにどれくらい苦しかったか、ひと目でわかるものがあるのでお見せしたいと思います。
まずはこちらをご覧ください。

これ、ユニオンさんからいただいた2022年カレンダーなんですが、これに独自ルールを設定して、毎日のハッピー具合を5段階評価した紙をペタペタ貼ってあるんです。濃いオレンジ、オレンジ、グレー、ダークグレーの順でハッピー具合をわけていて、スペシャルにハッピーな時はキラキラした紙を貼るというルールで毎日を振り返ってたんです。ちなみにこれは2022年1月のものです。ユニオンさんの事務所で原研哉さんとご挨拶させていただいたんですが、その日はキラキラしています。

さて、じゃあ8月はどうだったかと言うと、、、

はい、ご覧の通り真っ黒です。
コロナを乗り越えた自分を褒めてあげたいですね。
こうやって記録していると振り返るのに便利なので、来年も何かしらの形で記録してみようと思います。

この8月末には僕が所属している経営者団体の3年間に及ぶ代表の役職が終了し、肩の荷がおりました。とっても大変な3年間でしたが、大きな学びの時間でした。
就任早々コロナが蔓延し、運営に当時はとても苦労しましたが、振り返ってみるとそれもよかったように思えます。自らが経営者としての成長を目指すなかで、かけがえのない財産を沢山いただいているので、ここでの学びも随時ブログでお伝えしたいと思っています。


さて、9月、10月と年末へ差し掛かる中、嬉しかった出来事がありました。
それは、大阪初のご当地ナンバープレートに弊社のデザイン案が採用されたことです。

デザインコンペがあることを知らなかったのですが、堺を愛する方から、「自分が依頼費を出すので、MERRY BEETLEさんでコンペに参加してくれませんか?」「堺市民が誇れるようなデザインをつくって提案してほしい」とオファーをいただいたんです。
さすがにこんなアツいメッセージをいただいたら断るわけにはいきませんので、提案することに決めました。(依頼費はお断りしています)
ですがこの提案の背景、ちょっと大変だったんです、、、

というのも、このコンペの提案締め切り前にコロナにかかってしまってたんです。
予定ではお盆前にアイディア出しして、休み明けに手を動かして提案するというつもりだったんですが、先にお話した通り僕がコロナに感染し、会社が休業状態だったんです。
体調も最悪だし正直提出は諦めようと思った瞬間もありましたが、依頼してくださった方の期待に応えたい思いで、締め切り前日から着手。弊社今村と2案ずつ合計4案を提出締め切り10分前に滑り込ませました。

結果、最終選考8案の中に2案が残り、最優秀賞と優秀賞(1位と2位)をいただくことができました。
そのデザインがこちらです。左が最優秀賞(実際にデザインとなるもの)、右が優秀賞のデザイン案です。

きっと邪念なく、誰かを想って取り組んだことが結果につながったんじゃないかと思っています。
令和5年10月から導入が始まる予定ですので、今から楽しみです。堺市民の方が喜んでくれたら嬉しいな。

さてさて、そんなこんなで11月、12月を駆け抜け、本日仕事納めをすることができました。
去年は年賀を作ることができなかったんですが、今年は少し余裕を持って年賀作成もできたので安堵しています。なかなか面白いことができたと思っているので、届いた方は是非じっくりご覧になってください。

本年は大変お世話になりました。
皆さま、良い新年をお迎えくださいませ。

外から見える自分って?

前回お話したインスタグラムの投稿で、他己紹介をしようと仲間が提案してくれました。

自分は〇〇です、ではなく、この人は〇〇ですという第三者から紹介をしてもらうものですが、実はここにブランディングにおける重要なポイントが隠れています。
ブランディングとは、自分は〇〇だということ(=ブランドアイデンティティ)と、この人は〇〇だということ(ブランドイメージ)を合致させていくことであると弊社では定義をしています。つまり第三者から見られた自分こそが「ブランド」だということになります。


つまり、僕がそうだと思っている、もしくは必要に応じて演じている志波大輔と、仲間から見られている志波大輔が一致していれば、ブランディングとして成功しているということになります。代表だから忖度が働いている可能性も無きにしも非ずですが、とても嬉しい紹介文を書いてくれました。自分が意識しているキーワードが出てたり、そんなふうに思ってるんだと意外なコメントが入ってたりと新しい気づきがありました。そして概ねアイデンティティとイメージが合致していると僕は思いました。

是非一度、自分自身もしくは会社や商品サービスのアイデンティティと外から見られるイメージが合致してるのか、確認してみてください。強みを再認識でき自信に繋がったり、新しい発見があったりするのでオススメです。

最後に仲間が書いてくれた僕の紹介文とイラストををご紹介しますので、よかったらご覧ください。



今村より
ホスピタリティの塊です。大きいです。スタッフから見ても人前で話すことがとても上手で、低音ボイスも相まって聴きやすいともっぱらの評判です。インテリアやプロダクトに至るまで、ライノセラスを従え様々なデザインをします。シンプルだけど、どこかチャーミングな表現が魅力です。最近は料理を頑張っているらしく麻婆豆腐が得意だと言っていました。黒霧のソーダ割りと唐揚げ、焼きそばで1週間は頑張れる男だと思います。ラーメンとカレーは飲めるそうです。あとnendo出身です。

土屋より
志波さんは、みんなに頼られるお兄ちゃんのような人で、わたしにとってはお父さんとお母さんのような人です。色で言うと、オレンジです。見た目は大きいけれど、かわいらしいデザインをする人です。淡い色味やレインボー(キラキラ)を好みます。鞄はオレンジだし、大きいので、街中でもすぐに見つかると思います。最近は、チョコレート屋さんのデザインとかやりたいなあと呟いています。似顔絵を描くには、私にはちょっと難しいタイプの顔つきの志波さんです。

タッチポイントを考える

最近自社のインスタグラムについて見直しました。

ブランディングを進めていく上で、タッチポイントの設計はとても重要となります。
この「タッチポイント」とは顧客接点を意味するマーケティング用語で、企業と顧客が関わる接点を指します。それは名刺、パンフレット、ホームページ、SNSなど現在では多岐にわたるため、会社の情報をダラダラと発信するのではなく、それぞれの「目的」を設定し、そのために「何をいつどのように誰が誰に対して発信するのか」を考えることが大切です。これは、社外に向けた話(=アウターブランディング)でも、社内に向けた話(=インナーブランディング)でも同じです。
インスタグラムも当然タッチポイントのひとつになるわけなのですが、最近では多くの会社が導入をされていますね。




弊社では、今までウェブサイトと同じ写真と同じ言葉を使って「デザイン事例」を紹介していました。これはウェブサイトだけでなく、インスタグラムも活用して広くMERRY BEETLEを知ってもらうことが目的だったのですが、デザイン事例をウェブサイトに掲載するまで非常に時間がかかるという問題点がありました。そうなるとインスタグラムも更新頻度があがらず、過去事例をリピートして対処するしかありませんでした。このような状況で運営するのも楽しくなく、ツールとしての魅力であるインスタントさを生かせてないということから、インスタグラムの目的を変更することにしました。

そこで、自分たちの「人となり」を伝えるを目的にしようと決まりました。この背景には、デザイナーが世間から扱いにくい、もしくはどう接していいかわからないなど、コミュニケーションにハードルがあるように思われがちなので、そのハードルを少しでも下げれたらという意図があります。自分たちのことや、日々の目にとまったモノや好きなものを投稿しようと、最低週一回という頻度を設定して更新を進めています。


基本的には社外に向けたアウターブランディングの一環としてはじめたのですが、思わぬ副産物があることに気付きました。投稿するに際してただカッコいいとか可愛いとかでは”らしさ”が出ないから、「なぜこれが好きなのか」「どこがすぐれているのか」「良いデザインとは何なのか」まで深掘りしよう!となったんですが、これによって、投稿する側に考えるきっかけが生まれ、自分自身の知識や理解を深めたり、仲間の思考が垣間見えたりと、インナーブランディングにも役立つことに気がつきました。

ブランディングにおいて大事なことはトライアンドエラーを繰り返すこと。この取り組みがイマイチであればうまくハマるまでやり続ける、そういう地道な姿勢が大事です。
この新しい取り組みの今後にご期待ください。

https://www.instagram.com/merrybeetle/

なんでMERRY BEETLE?

社名である「MERRY BEETLE(メリービートル)」の由来についてお話をしたいと思います。

法人を立ち上げる前のフリーランスデザイナーだった時、自分がどうして今の仕事をすることになったのだろうかと考える機会がありました。ずーっと過去に遡ってみると、そこで出てきたキーワードが自己紹介でも少しお話した、カブトムシやクワガタだったんです。こんなところに原点があったんだぁ、と自分でも驚きました。

小学生の頃、夏休みに入るやいなや、和歌山にある祖父母の家に遊びに行っていたのですが、そこでの最大の楽しみはおじいちゃんと一緒にカブトムシやクワガタを採りに行くことでした。子供の頃は八尾(大阪)に住んでたんですが、そこで出会える自分の中での最高位(=かっこいい)の昆虫はカマキリで、カブトムシやクワガタは図鑑で見るだけの憧れの存在だったんです。

そんな中、初めて出会ったそれらは幼少期の僕にとってすごく輝いて見えたんだと思います。とりわけクワガタが好きで、勇ましい大顎のフォルムに魅了されました。大人になって知見が広がると、世界中にはもっとたくさんの甲虫がいることを知り、ますます興味が深まりました。 ギラファノコギリクワガタという種類の中に、ダイスケギラファなんていう亜種もあるようで、勝手に親近感を持っています。こういった背景から自分の初心や原体験を大切にしようと「BEETLE」というキーワードを屋号に入れることに決めたんです。「BEETLE」ってカブトムシのことですよね?とよく質問されるんですが、甲虫類全体を指して使えるようで、クワガタは英語で「STAG BEETLE」といいます。

次はこのBEETLEに何か形容詞をつけたいなと、いろいろな言葉を試してみました。キラキラしたものが好きなので、「BRILLIANT」とか「GLORIAS」など、輝かしいという意味を持つ言葉も候補にありましたが、ちょっと仰々しいというか、らしくないなと。

そこで思い出したのがnendoを退職する直前の自分の心持ちでした。あの時は毎日慌ただしく、クリエイティブを楽しむ余裕もなく、どう仕事をこなそうかという思考でいっぱいでした。作り手の想いがモノに宿るとするならば、そんな心持ちで生み出されたデザインたちはハッピーじゃないんじゃないか?と。そこで「MERRY(=愉快な、楽しい)」を選びました。

メリークリスマスにもあるように誰でも知ってる身近な言葉だし、メリービートルという音感も心地よくてすぐに気に入りました。画数とかも気にするタイプなのですが、これも良い評価でしたのでひと安心。もとより、自分自身が「楽しいか?」より「正しいか?」と生きがちなので、今振り返ると無意識に自戒の意味も込めていたのかもしれません。

なんにせよ、名は体を表すというの言葉のように、「MERRY」な仲間が志波大輔という木に沢山集まることが僕の夢なんです。

はじめまして(3)

志波の自己紹介の最後となります。
始まりは大阪に帰って独立を決める話から。

[びびりながらも独立]

nendo退職後、東京で少しの休息期間を経て大阪へ帰ることを決意。ちなみに休息期間中は体を動かしたいと思い、クロネコヤマトでアルバイトしていました。もんじゃ焼きで有名な月島が勤務先でしたが、人情溢れる下町で、すごく楽しく働かせてもらいました。
是非ウチに就職してほしいとセンター長からオファーをいただきましたが、僕には夢があるんです、ごめんなさい!と丁重にお断りしました。他にも一緒にパスタ屋をやらないか?と誘われたりと、自分に軸がなかったから周りから誘惑が訪れるのだと今ならわかります。

しかし大阪へ帰るも何とも踏ん切りがつかず、グラフィックデザインを勉強したいとデザイン事務所を探し、求人募集していないか問い合わせるも敗退。勤めるという選択肢が消えるも、どうしていいかわからない僕に恩師が背中を押してくれました。大学生時代に塾でアルバイトをしていたのですが、その時の社長であり、僕を大学合格に導いてくれたのが恩師です。
彼は僕にこう言ってくれました。

「あれができたら、これができたらと言ってるうちは何もできないよ」と。

この言葉は晴天の霹靂でした。そして2014年1月にフリーランスデザイナーとして大阪で独立を決意したんです。

[フリーランスになって]

独立したものの、nendo時代のコネなどは全く無く、当然人脈も仕事もありません。デザイナーとして働いていただけなので、どうやったら仕事をいただけるのかもわかりません。堺と東大阪、塾のアルバイトを2つかけもちしながらのスタートです。

世の中には異業種交流会なるものがあるということを知り、少しずつ参加するようになりました。名刺を交換するだけでは大きな発展はありませんが、都度小さなご縁を紡ぎ合わせながら、本当にちょっとずつ前進することができました。超人見知り&斜に構えるタイプなので第一印象は最悪だったと思います(笑)
当時は実家で仕事をはじめましたが、なかなか集中して作業ができず、学習塾のデスクを1つ間借りさせていただきました。塾講師>デザイナーのようなバランスで生活をしていました。
たまに一番最初の仕事は〇〇でしたか?と聞かれるのですが、当時は必死すぎてほとんど記憶がありませんが、おそらく塾のチラシ等のお仕事をいただいたと思います。

[MERRY BEETLEの誕生]

独立をして1年後、異業種交流会で知り合った先輩経営者との出会いで転機が訪れます。経営者として勉強したほうがいいと、経営者の教育団体を紹介してもらい、そのコミュニティーに所属することとなります。デザイナーであれば、クリエイティブのコミュニティに所属することが多い中、経営者団体に所属させてもらったご縁が、人生を大きく変化させたと言っても過言ではありません。

独立してすぐの頃は自分に全く自信がなく、人生で一番どん底メンタルでした。そこで自分と向き合う機会が多々生まれ、少しずつ気持ちが変化していったんです。さらに様々な良縁が合間って、現在の堺事務所を設立、さらには法人化するに至り、2016年にMERRY BEETLEが誕生しました。

この時、収入源だった塾のアルバイトを辞める覚悟を決めるのに非常に勇気がいりましたが、「得るは捨てるにあり」という教えのもと、断ち切りました。何かを得るには、何かを捨てなければならないという哲理です。ですが不思議なことに、ここから一気に仕事をいただけるようになりました。

その後も沢山の良縁をいただき、お陰さまで今があります。

皆さんに手伝ってもらい、できあがった堺の事務所。大きな窓が心地よいです
今はかなり物が増えてしまったのですが、愛着のある我がオフィスです。

[未来にむけて]

お話してきたように、僕はクリエイターと経営者、両方のフィールドに所属してきました。コロナ禍ですごく辛い思いもしましたし、小さい会社ながら「経営する」ということの難しさも身をもって体験しました。(もちろん今もしています)
だからこそ、もっとデザインの力を通して会社経営に役立てる組織を作りたいと考えるようになりました。そこで現在弊社では 「デザイン」と「ブランディング」の2本柱で事業を展開しています。



ブランディングはロゴやウェブサイト、内装など一貫性のあるデザインをつくるだけではありません。大切なのはそのデザインに至るまでのビジョンやパーパスを明確に確立させることにあります。これからの未来により良いモノを残すことを使命にスタッフ一同頑張りますので、一緒にブランドをつくりましょう。

今後は経営者としての在り方や、書籍テザイン・ブランディングのことについても自社の取り組みなど交えながらお話させていただきたいと思います。
もちろん日々のことも引き続き投稿していきますので、お付き合いいただけると嬉しいです。

長くなりましたが、自己紹介をお読みいただきありがとうございました。

とある日のお気に入りワンショット。
最高の仲間としばらく少数精鋭でデザインしていきます。

はじめまして(2)

志波の自己紹介の続きとなります。
始まりはデザインそしてnendoとの出会いの話から。

[デザイン/nendoとの出会い]

デザインの世界との出会いは、とある雑誌のコラムでした。
雑誌の名前は忘れましたが、特集されていたのは大地真央さんの旦那さんであるGLAMOROUS 森田恭道さん。その華々しい世界と、デザイナーという響きに心打たれました。お恥ずかしい話ですが、かっこいい!モテそう!そんな不純な気持ちも沢山ありました。なんならほとんど不純だったかもしれません(笑)わざわざ国立大学を出ておきながら、その道を捨てることがどれほど勿体ないかと思いましたが、あの時思い切った自分を褒めてあげたいのと、喧嘩もしましたが、応援してくれた両親に感謝しています。

そんなデザインの世界への第一歩は専門学校。体験授業が楽しすぎて、入学を決めました。今思えば小学生の頃、大好きだった図画工作の時間と重なったような気がします。ちょっとヘンテコリン(いい意味で)な先生にも興味がありました。

入学して間もない授業の課題で、ミラノサローネというイタリアのミラノで行われる、世界で最も大きなデザイン見本市についてリサーチするというのがあったんです。
この時出会ったのが、佐藤オオキさん率いるデザインオフィスnendo。レクサスのインスタレーションに雷に打たれたような強い衝撃を受け、そのコンセプトやデザインに一瞬で魅了されました。またオオキさんが早稲田の建築出身であることも、自分が建築からデザインという道を進んでいることと重なり勝手に親近感を持っていました。何より初めて働きたい会社が見つかったことに喜んだことを今でも覚えています。その後2回のインターンを経て入社させていただき、東京での修行が2010年から始まります。

ちなみにこのインターンも衝撃的でした。初日は確かエステーへの提案用建築模型の作成。nendoはプレゼン資料づくりにかなり力をいれており、インターン学生の仕事はほぼ模型作りでした。夜9時頃にひと段落し、さぁ帰ろうかと支度をしていると、先輩が「ごめ〜ん!」と走ってきたのです。追加案が出たからもう一つ作ってほしいということで、結局朝まで模型を作りました。今はそんなことしていないでしょうが、当時はこれが当たり前でした。他にも数々の洗礼を浴びて少し怯みました、一流での経験は独立には必須だと思い入社を決意したのです。

左:専門学校時代。当時はシャツが派手でしたが、今はパンツと靴下が派手です。
右:インテリアデザインに目覚めた頃の一冊、タイトルをメールアドレスにするくらいでした。

[nendoでの修行]

配属されたのはプロダクトデザインチーム、ディレクター1名(上司)とデザイナー4名ほどのチームでした。
毎日3Dモデリングソフトでデータを作ったり、それをフォトショップでレタッチして、イラストレーターでプレゼン資料を作ったり、3Dプリンターで出力されたモデルをヤスリで整えたり着色したりと、粉まみれ、塗料まみれの日々でした。
入社条件としてシェードという3Dモデリングソフトが使えることが必須だったので、学生時代から独学で学んでいたのですが、入社するとライノセラスに変わってる出落ち具合。何とかこれもマスターして仕事に取り組みました。
さらに当時は神奈川県の川崎に家を借りていたので、当時会社があった目黒まで原付で3~40分かけて原付で通勤していました。白バイにも頻繁に捕まえられ、とにかく修行という名にふさわしい激動の日々でした。

nendo入社したての頃、屋上で食べるランチタイムが楽しみでした。
この写真の一番右にいるドイツ人のDavid(ダービッド)とは今でも交流があります。


働きはじめてしばらく過ぎた頃、建築出身ということもありインテリアチームへ異動となり、国内外さまざまなプロジェクトに従事しました。そのタイミングでデザイナーからディレクターに昇級し、社内におけるプロジェクトマネジメント兼制作のような立場で仕事をさせてもらいました。
けれど相変わらずの忙しい日々で、数日家に帰れず床で寝ることもしばしば。丁稚奉公のような働き方だったので、金銭面でも苦労しました。ですがすべては自分で独立するための修行である!それだけが心の支えでした。目の前にあった100円ローソンで、毎日100円使うかどうかを悩んでいたのが今ではいい思い出です。

国際的帽子デザイナー・平田暁夫氏の展示会スターバックスの期間限定ショップ安藤百福センターのために作られたツリーハウスカンペールの店舗デザイン(スペインの靴ブランド)、など様々な面白いプロジェクトに携わりましたが、やはり特に印象的だったのは2012年のミラノサローネ(世界で一番大きなデザインの見本市)に同行したことでした。
nendoを知ったきっかけの見本市でもあるし、オオキさんがエルデコのデザイナーオブザイヤーを受賞される姿を目の前で見れたのは最高の思い出です。ちなみにオオキさんがテレビに出演されると、この時の映像が良く使われるんですが、その時観客席にいる僕も写ってるんです。とてもわかりづらいですけどね(笑)

2012年 ミラノサローネでの打ち上げの一幕。
この時のメンバーは戦友と呼ぶにふさわしい方々でした。


その後も引き続きデザインと向き合う日々を送るのですが、その忙しさから自分の心の中にクリエイティブを楽しむ気持ちがなくなっていることに気がつき、2013年、nendo生活を終えることとなりました。
たった3年でしたが、濃度的には3倍くらいの濃厚すぎるデザイナー生活は、まるでドラゴンボールの精神と時の部屋のよう。(古い例えでごめんなさい)
デザインや仕事、人生に対する考え方の基礎を作らせてもらったことには感謝しかありません。ちなみに今でも当時の夢を見ることがあるので、相当印象深かったのでしょう。

ここから1年ほどのリフレッシュ期間を経て、帰阪。
はじめまして(3)へ続きます。