技術力と幸福力のパラドックス(1)

2023.11.17

日々のこと/志波大輔

こんにちは、志波です。

ここ最近ずーっと気になってることがあります。
それは、私たちがより幸せに、より豊かになるようにと技術力がぐんぐんと向上してきたのであれば、私たちの幸福度も同じような成長曲線を描くべきじゃないのか?ということです。
この裏にはそれを体感してないという実感があり、なんなら技術力が低かった時代よりも忙しく(時間的うんぬんというより、文字通り心を亡くしているという意味)しているんじゃないかとすら感じます。

デザイナーが仕事をする上で大きく影響を 与えたもののひとつが通信手段の変化です。
電話からメール、さらにタイムリーにやりとりができるチャット、そして遠く離れた人との打ち合わせがオンラインでできるまでに発展。データのやりとりで言えば、フロッピーやディスクに焼いて、郵送または直接届けるという手法から、オンライン上のサーバーにアップして共有するという手法へ。 以前であればいつでもデータを届けられるように、大手広告代理店のすぐ近くに事務所を構えるというのが当たり前でしたが、今ではそれはさほど拠点を構える上での重要事項にはなりえません。実際弊社もそういうエリアからは程遠い大阪堺という地でお仕事をさせてもらっています。
メールでは会話のキャッチボールが遅かったものが、チャットの登場でかなりの時短に。オンラインでの会議がこのコロナ禍で当たり前となり、移動時間という概念がなくなりつつあります。

とにかくここ数年で格段に便利になったことは言うまでもありません。
しかし、便利さによって私たちは果たして本当の豊かさを得ているのでしょうか?
例えば以前は5日かかっていた仕事が、技術力の革新によって4日で済んだとしましょう。そしたら今までとは違って1日分の時間が残ってるはずですよね?であれば、この1日を家族との時間や趣味の時間を充実させて、しっかりリフレッシュして仕事に打ち込んで生産性を上げる、というのが理想な状態だと考えます。
ですが残念ながら多くの場合そうではなく、タイムリーにピコピコと鳴るスマホに動かされ、結局メリハリの無い働き方をしているのではないでしょうか。

では、なぜこのような状況に陥るのか、それは「捨てられない」ことが原因のひとつだと僕は思っています。
何を捨てられないかというと、以前からの習慣です。
人は動物ですから、身の安全を確保することを最重要事項において生きています。今まで5日働いてきた中に突然1日のゆとりが生まれ、働くのをやめることに不安を感じます。さらに日本人は勤勉ですから、1日ゆとりができたなら、さらに仕事を入れようとしてしまいます。その結果、私たちは以前からの働く習慣から抜け出せずにいるのです。
海外に同様の文化があるのか知りませんが、日本ではわざわざ「断捨離」という言葉を使って、モノを整理しますよね。それくらい「捨てる」ということは難しいことが伺えます。
とりあえず保留にしていること、多々ありませんか?(僕は多々あります笑)

この続きは次週に。

読んでいただき、ありがとうございました。