二宮金次郎と報徳

2024.04.05

日々のこと/志波大輔

こんにちは、志波です。
4月になり世間は新年度、桜もようやく咲き始め気持ちの良い季節になりました。
私ごとですが娘も今日でちょうど1歳を迎え、1年前出産をソワソワしながら待っていたことを懐かしく思います。

さて、今日は二宮金次郎から学んだことを少しお話したいと思います。
数年前に映画「二宮金次郎」とご縁があったのをきっかけに、師の1人として彼の生き方や在り方から学ばせてもらっており、先日も金次郎の7代目子孫であられる中桐 万里子さんの講演を聞かせてもらいました。

二宮金次郎といえば、薪を背負いながら本を読む少年の像が有名ですが、実際何をした人なのか良く知らない方も多いのではないでしょうか?(僕も知りませんでした)
かいつまんでご説明すると、以下のような感じです。

“実家再興に成功したことをきっかけに小田原藩士服部家に財政の建て直しを頼まれ、これも見事成功させます。それが広まり小田原藩の分家にあたる桜町領(栃木県二宮町)の再興を頼まれたことから、生涯になんと615の村々を立て直しました。
そんな金次郎の生き方に渋沢栄一や松下幸之助も大きく影響を受けたようです。”

金次郎にまつわるお話は多々ありますが、僕が今日お伝えしたいのは、中桐さんが講演の中でお話してくださった「報徳」についてです。

昨今、ビジョンやパーパスなど、企業として社会に対して大きなことを掲げることがトレンドですね。
金次郎は当時、数多もの村を立て直す中でどんなビジョンを掲げていたのか気になりませんか?
どうやってこのような偉業を成し遂げたのか?

講演の中で中桐さんはおっしゃいました。

金次郎は大きなビジョンを掲げていたわけではありませんでした。
ただただ、自分を大役に抜擢してくれた藩主のために尽力しているだけだ、と。

”受けた徳や恩義に報いる”
これが金次郎の「報徳」という考え方だと教えてくださいました。

もちろん国として、藩として、目指すべきものはあったでしょう。
しかし金次郎を突き動かしたのはビジョンではなく、自分を抜擢してくれた人のためにという想いだったのです。

ビジョン浸透のためにインナーブランディングを!と言われますが、恩を感じる力、感謝できる心を鍛えることがまずもって大切なことではないでしょうか。何もかもが満たされた現在において「有難い」と思うことは容易ではありませんが、絶対に失ってはいけない気持ちですね。

まだ何者でもない僕に「あんたは世界で活躍する男や!」と言ってくださる偉大な経営者の先輩がいらっしゃいます。
自分は大丈夫だろうか?と不安になる時、いつも勇気づけてくれるこの言葉を真実にすることが、僕にとっての報徳です。